この記事は最終更新日が【2017年2月14日】のため、内容が古い場合があります。最新記事があるTOPページや、ページ上部にある「サイト内検索 」もお試しください。

富川橋を調べる際に、近くで発見したものが今回のネタです。

↓↓場所はこちら↓↓

この場所にこんな看板がありました(ほぼ毎日通ってる道なのに気づかなかった…)

横田上田揚水場の二連水車

明和年間(1764年~1771年)、大阪の淀川に設置された水車を参考にして、現在の大鳥居地先の小櫃川にかけられたのが、この地方の水車の始まりとされています

明治27年(1894年)の日照りを契機に、当時はこの場所にあった上田揚水場に直径約6mの大水車を設置しました。明治30年には二連式となり、昼夜をとわず小櫃川から水を汲み上げ、横田耕地の水不足の解消に役立ちました。

横田の善福寺には当時使われていた水車の軸の一部が柱として使われています。

1764年~1771年!? 一体その頃はこのまわりどんな風景だったんだろう…
それに、ここに揚水場があるなんて知らなかったです。結構地元民なんですけどねぇ。。。
もちろん今は揚水場の形跡はないので、他になにか痕跡が無いか近くをうろうろ。


上の説明文にあった「上田」揚水場という地名ですが、近くにある橋の名前に引き継がれてました。


今は道路橋と水道橋(ですよね?)が跨いでるこの谷のようなもの、昔から気にはなっていましたが揚水場があったとはなー。


「旧」小櫃川!! ここ、昔は小櫃川だったのか!

…と書いたものの、なんとなく中の人は察していました。理由はこちら↓↓の空撮写真。

空撮写真で見るとなだらかな曲線沿いに林があるので気にはなっていたのですが、「旧」小櫃川と書かれてるのは知らなかったです。さらに水車まであったとは… 今の小櫃川はまっすぐに変えられていますが、空撮写真を見るとおぼろげに見えるのが楽しい!

車や電車・バスではさらっと通り過ぎてしまうところにも、こんな解説の看板があるというのも新しい発見でした。
他にもあるようなので、見つけたらご紹介していきますね。

■ちょこっとPRコーナー■

こちらの記事もご興味ありませんか?

コメント

コメントを返信する

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です